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Friday, April 30, 2010

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Monday, January 5, 2009

佐谷画廊の思い出

 佐谷画廊に初めて行ったのは大学2年の夏、1985年7月の第5回「オマージュ瀧口修造」です。その前年、大岡信『ミクロコスモス滝口修造』(みすず書房)が刊行され、口絵で見た瀧口のデカルコマニーに心ひかれました。たぶん下宿で読んだ朝日新聞の展評で「オマージュ瀧口修造」を知り、見に行ったのだと思います。画廊という場所に足を踏み入れた最初でした。あのころは今と違って(などと言える歳に私もなってきました)美術史専攻でもない学生が画廊を回るのは勇気の要ることでした。佐谷画廊でも、そっと作品を眺め、デカルコマニーの絵葉書を買っただけで、佐谷さんとお話しすることはありませんでした。
 そのころ私は「三田詩人」という詩誌の同人で、瀧口の「妖精の距離」にもひかれていました。しかし20年を経てみると、むしろデカルコマニーをはじめとする作品を佐谷画廊で間近に見た記憶の方が、ずっと色濃く曳揺しているように思います。 2度目に訪れたのは銀座における最後の展覧会でした。当時は社会部の記者で美術と縁遠い世界にいましたが、新聞で閉廊を知り、十数年前の記憶をなぞりに出かけました。その時も佐谷さんとはお話しせずに終わりましたが、その翌年の異動で文化部の美術担当になり、今度はSHUGOARTSなどでお会いしてご挨拶するようになりました。
 偶然ですが、最後にお会いしたのも瀧口修造の縁でした。2005年の「瀧口修造コレクション:夢の漂流物」展の内覧会で、快活な笑顔を見せて関係者を紹介して下さった姿が目に浮かびます。その世田谷美術館の内覧会では「三田詩人」の同人だった慶應の准教授の笠井裕之さんたちとも再会し、20年前の佐谷画廊と現在をつなぐ奇縁に感慨を覚えたものでした。
 しかし残念なのは「今度ゆっくりお話をうかがわせて下さい」とお願いしながら、いつも短い立ち話で、他の方々が語っておられるほどの謦咳に接する機会を逃してしまったことです。著書を数冊拝読し、瀧口や三好達治のこと、美術の現状に対する厳しい指摘をお聞きしたかったのですが、私よりもお付き合いのある職場の先輩が3人もいたので、遠慮していました。 私も20年以上前に佐谷画廊を訪れた体験があったのですから、そこまで臆する必要もなかったのです。お話をうかがいに行き、大切な言葉を文字にしておくべきでした。

高野清見

Sunday, January 4, 2009

「本物」を見る

 「本物を見なさい。ニセモノをいくら見ても、本物を見る眼は養われませんよ。自分の眼で本物を見ることです。」

 佐谷さんが、授業で言われ、その後ことあるごとに話し、身をもって示されたこの言葉が忘れられません。
 佐谷さんに初めてお目に掛かったのは、私が1997年に慶応大学のアートマネジメント講座を受講していたとき、講師として授業に来られたときのことでした。美術に関わる仕事がしたいと考え、社会人聴講生として履修していた私は、毎週、アートの最前線で活躍される方々のお話を聞くことのできるこの講座から刺激とヒントを受けていましたが、何より佐谷さんの授業が一番心に残っています。
 画廊のお仕事について、美術品市場について、具体的なデータやご経験をまじえて講義して下さったのですが、佐谷さんのお言葉には、芸術と芸術家への深い敬意、愛情と、仕事への情熱が滲み出ていました。今思うと、佐谷さんの生き方、芸術との向き合い方、ご自身の仕事への真摯な姿勢に心を動かされたのだと思います。

 佐谷さんのご自宅に伺ったのは、2000年の春でした。岩渕さんのご紹介で、シカゴに留学する前の3ヶ月ほど、荻窪のご自宅でちょっとしたお手伝いをさせていただきました。丁度、「オマージュ瀧口修造展 中川幸夫 献花オリーブ」の準備をしているときでした。中川さんの作品にするためのオリーブの木を求めて小豆島に行かれたことや、瀧口修造の庭のオリーブの木について、本や写真や瓶詰めを見せながら話されるときの、佐谷さんのいきいきした表情と目の輝きが今も鮮明に思い出されます。そのときは、佐谷さんのお仕事を垣間見ることができ、佐谷さん、奥様、山田さんとお茶をしながらお話したり、奥様のお料理を一緒にいただく佐谷邸での時間がただ、ただ楽しく、嬉しく、興奮したり、感動していたのですが、今思えば、お手伝いするどころか、本当に貴重なご自宅での特別講義を受けさせていただいていたのでした。作家や作品と向き合い、展覧会をつくる上で大切なことは、佐谷さんのお仕事への姿勢と、佐谷さんの経験と情熱と作品への敬意・愛情に裏打ちされたお言葉、お話から学びました。

 その後、留学から戻ったとき、共著でミュージアムの運営と都市政策に関する本を出したとき、ギャラリーに転職したとき・・・いつも佐谷さんは応援し、励まして下さいました。そのたびに、働く場所、立場、状況が変わっても忘れてはいけない原点に立ち返り、自分の志を問い直し、考えさせられました。

 佐谷さんとは、まだまだ沢山お話をしたかったです。是非佐谷さんに見ていただきたいと思えるような展覧会を実現し、ご案内したかったです。何よりも、佐谷さんへの感謝と尊敬の気持ちを十分に伝えられていなかったことが悔やまれます。
 仕事に迷いが出たとき、展覧会の集客や収益にとらわれ日々の仕事に追われて大事なことを見失いそうなとき、佐谷さんのお言葉を思い出すようにします。そして佐谷さんが熱意と愛情をこめてつくられたカタログの数々やご著書を開きます。 佐谷さんが遺された数々のお言葉、ご著書、カタログ、佐谷さんとの思い出は、北極星のようにいつまでも変わらず輝いて、方向と志を見失わないよう示して下さっています。
 佐谷さんに恥ずかしくないよう、「本物」を目指し、いつか、自分の中で佐谷さんへ捧げられる仕事(オマージュ佐谷和彦?)をすることが、私の目標です。

 「本物を見なさい」といわれた、佐谷さんこそが、「本物」でした。そして本物に出会い、本物のお仕事の一端を見ることができたことを幸せに思い、感謝しています。
 佐谷さん、奥様、本当にどうもありがとうございました。 佐谷さんから学んだことを活かし、伝えていけるよう、これからもどうぞ私たちを見守っていて下さい。
 
 佐谷さんを思い、これからも「本物」を見ることを大事にしていきたいと思います。

               
稲葉郁子

Saturday, December 27, 2008

佐谷画廊で働いて

 この秋、短い休みをとってスイスを旅した。チューリヒ、バーゼル、ベルン……佐谷画廊で働いているとき、何度も耳にした場所をむさぼるようにまわった。クレーセンターへ続く農道を行きながら、あまりに清々しい空に思わず涙が出る。佐谷社長が生前、ツアーを率いてここへ来たとき、わたしは残念ながら東京で留守番をしていた。「近いうちにかならず行ってきなさい」社長はそう勧めてくれた。

 岩渕先生の紹介で幸運にも佐谷画廊を手伝うことになったのは、2000年の春。以来7年余りをご夫妻にお世話になった。画廊に集まるひとかどの方々、新旧の一級の美術作品、貴重な文献の数々にまぢかに接するという、ただのいちアートファンのままであったなら生涯得られるはずもなかった経験が、今わたしの血肉になっていると心から感謝している。けれど何よりも社長の下で仕事をしたこと、それがどんなに大きなことだったか。そのことをここで書かなければいけないのだろうが、まだうまく自分の言葉におさまらない。
 社長の中にはいつも、謦咳に接し尊敬してやまなかった瀧口修造、三好達治、その他大勢の故人がありありと生きていた。ときに作品を通じて心を寄せていたクレーやジャコメッティがふっとその身に宿ることもあった。わたしは本でしか知らなかったその人たちに、社長の姿や言葉を通して出会った。限りない愛情と素直な良心に基づいた使命感に突かれて、社長は身の内にその人たちを受け継いでいたように思える。脈々と連なるその精神を引き受けて仕事をする、そういう人とわたしは短くない時間を過ごすことができた。

 社長が瀧口邸の書斎を、ことあるごとに大切に思い出していたように、今、わたしは佐谷邸の書斎を懐かしく思い浮かべる。美術と文学のたくさんの書籍が収まった本棚があり、奥に大きな平机、この机で社長は毎朝ブルーブラックの万年筆を走らせて、日記や手紙を書いていた。壁や棚のあちこちには、のちに美術館に収まるモダンの大御所のタブローも、貸し画廊で偶然目に留めてもとめた無名の作家のオブジェも、川べりの散歩道で拾ったカラスの羽やどんぐりの枝、旅先で見つけた南欧の古いタイル、友人からの絵葉書や写真も、すべてが美しく愛しいものとして等しく飾られた。
 いつも美術の仕事のことばかり考えて、と周りに心配されていたけれど、社長にとっては日常の小さなことも「美術」だった。作家の指先からさっと引かれたドローイングの線も、制度と闘う仲間との電話も、奥様がつくるおいしいお料理も、中庭のオリーブに羽を休めに来る小鳥も、ぽっきりと落ちる泰山木の花しべも、すべてが楽しいおどろきをもった「美術」だった。好奇心いっぱいに見ひらかれた輝く目から、この世のどんなにたくさんの豊かさを教えられたことだろう。そんな「美術」に囲まれた毎日から、大きな美術の仕事へのパワフルな原動力が生まれるときを、わたしは何度も目の当たりにした。

 最後に電話で話ができたとき、「新しい仕事はどう?がんばっているかい」と聞かれたあと、わたしはいつもの言葉「こちらもおもしろいことが起こってね…」と続くのを待った。仕事をセーブして治療に専念するようになってからも、社長の周りにはかならず「おもしろいこと」が起こっていて、その話を聞くたびわたしは勇気づけられていた。でもこのとき社長はそう言わず、かわりに念を押すように「自分のしごと、やっているね?」とささやいた。わたしは胸が詰まった。
 「自分のしごと、やっているね?」……はたして、わたしは自分のしごとをしているだろうか、社長が亡くなってから、ときどき自問する。報告したいこと、相談したいことがたくさんある。そして今、たまらなく、社長からの返事がほしい、と思う。

山田恵

佐谷家におじゃまできた幸運者

岩渕さんが書かれていた幸運者のひとりとして、佐谷さんと出会えたことは私にとって奇跡なのかもしれません。

立教大学大学院でサービス・ホスピタリティー分野の研究をしていた私は、正直、この中で一番アートに関する知識もなく、かつ、画廊という仕事には全くの門外漢でした。ホテルやアミューズメント施設といったサービス業からの視点でしか話ができなかった私に、佐谷さんが私の拙いサービスやホスピタリティーという視点からの話を興味深くきいてくださり、満面の笑みで「その視点はアートの世界に必要なことだし、欠けていることなんだよ」と言われたのはいまでも忘れられません。

ひょんなことから研究者の道をはずれ、銀座界隈のオフィスで働くようになり、銀座で開かれる個展にはちょことちょことオジャマさせてもらいました。どんなに忙しくても私みたいな者にまで、丁寧に作品を説明してくださる佐谷さんの姿は、やはり、プロフェッショナルであると感じました。あの時期は、想像を超える労働量でしたが、仕事の合間に個展会場を訪れるのが、私にとって至福の時でした。


黒澤行紀

Wednesday, September 24, 2008

佐谷画廊と佐谷さんの思い出

佐谷さんについて思い出すのは・・・

・画廊を兼ねたご自宅(特に素敵なパウダールーム)
・オマージュ滝口修造展「中川幸夫 献花・オリーブ」で出現したオリーブの木
・美術品の輸出入を表したグラフ
・荻窪駅前でごちそうになった空豆とビール
・なぜか自宅に2冊ある佐谷さんの著書『画廊のしごと』
・内緒なんだと教えてもらえなかった、ジャコメッティと矢内原伊作に関する秘密のエピソード
・毎年届く山室眞二氏のカレンダー
・『カズノコ』とあだ名で呼ぶ佐谷夫人

あれだけ、いろいろ話してあげたのに、肝心の部分が残ってないじゃないかと呆れられてしまうようなのですが実際に、よく覚えているのは、佐谷さんの口から発せられる相当な熱量のお話と、その隣に佐谷夫人がいて、周りには佐谷さんの引力に吸い寄せられてきた人達との素敵な時間と風景です。

また忙しさを理由に日常に流され続けているところにふと届く自筆のお手紙や、関西圏での美術展の案内を見ては、わざわざ、僕の為に時間を作り手紙をいただいたことへのうれしさと同時に「君は何をする人ぞ」、「君はまだ本当の仕事を果たしていないぞ」と、静かに問われているような気がし、心苦しいような気分になったのを白状します。自分の考えをきちんと文章にして形ということについては周吾さんの書かれたエピソードを読み、おもわず「ニヤリ」としてしまいました。

ここで、いつも頭の片隅にあり、会えなくなってしまった親しい人を想うときに
よく思い出すイメージを初めて文字にしてみます。

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砂猫の話

年老いた猫は、大好きな少年(又は少女)とともに生き続けることを望み
月夜の晩に不老不死を祈ります。

その日から老猫はなんとしたことか、年をとらずに、
ただ少しずつ、少しずつ、ひたすらに小さくなって・・・
手のひらに乗るぐらいに・・・更には砂粒のように・・・

少年(又は少女)はどんどん小さくなる猫を気づかい、鞄にいれ、虫籠に入れ、
小瓶にと入れ替えては、いつも、どこへでも連れてゆくが
ついに、砂粒サイズのネコを、砂場に落っことして途方に暮れてしまう・・・

一方、砂粒の世界へ飛び降りた老猫は、幼い頃に別れた(又は忘れていた)、
兄弟姉妹の猫達や父母、その他大勢の仲間とまた再会し・・・

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このお話のおしまいはまだ考えついてません。素敵なおしまいを
思いついたら、またみんなに話しに行こうと思います。

最後にこのBlogのヘッダーイメージは、旅行に便乗させていただいたニューヨーク、
セントラルパークで行われたクリストの門(ザ・ゲーツ)のプロジェクトを
思い出しながら描いてみました。

2007年9月24日 森信也

Friday, August 1, 2008

佐谷さん、ありがとうございました!

敬愛する佐谷和彦さんが2008年5月23日に旅立たれてから、すでに二月近くになりました。8月1日に行われた「お別れの会」にお邪魔させて頂き、その参列者の数、顔ぶれを目の当たりにして、改めて佐谷さんこそは日本の現代美術画廊の草分けであり、そのお仕事がどれほど大きな意味を持っていたのかということを考えさせられました。

佐谷さんにお世話になった若者たち(十年、二十年前の若者を含む)からの感謝の気持ちを込めて、このサイトでは佐谷さんの授業や画廊、ご自宅でのご様子を語り合い、共有したいと思います。

Photo:岩渕潤子  雨上がりのJ.P.ゲティ美術館の庭